おはしを買う

2007年4月1日
弟は、なんだか知らないけどお箸に凝るヤツである。

塗りがどうの、持った時の重みがどうの、角か丸かなどと・・・。

自分で和食器屋へ行ってお箸を買ってくる。

私なんざぁ、100円のお箸でじゅうぶんと思っている。

食べられれば幸せなのよ。

でも、弟が買ってくるお箸はスーパーや百円ショップで買ってきた

ものとは、やはり一味違うものがあるのは確かである。

しかし、いくらで買ってきたが知らないが、洗う時気を遣う。

以前に安っぽい塗りばしを食洗機に入れたら、はげてしまい、お箸

だけはスポンジで洗うようにしている。

手早く洗いたいところだが、やさしく撫でるように洗っている。

これが結構、せっかちな私には面倒なことである。

弟が買って来た駅ビルの和食器屋に寄った。

桜色や若草色の食器類が春らしくてすてきだ。

もともと私は、和食器が好きなのである。

さくらの花の形の箸置きに、揃えたお箸に心をひかれた。

天然木にうるし塗り、らでん(貝がらの真珠色に光を放つ部分)で

さくらの花びらを模している。

うるし塗りの部分がなんともいえないいい感じ。

あづき色ではなく、ワインレッドでつやつやしている。

そうだ、母に買っていこう。

ほかに和菓子も買っていこうと1階におりたが、あまりの人ごみに

疲れてしまい、なんか気分も悪くなってきたので、すぐ出てきた。

「お箸を買う時、ちゃんとパチパチってはし先を合わせてみた?」
と弟。

「しなかった、1本だけ持ってやっぱり丸いお箸の方が持ちやすい

よなってすぐ決めたわよ」

「ボールペンじゃないんだから、1本なんて!」と、母と弟に笑われ

たのであった。

店で1本だけ持って見ていた私を、店員さんは不思議に思って見て

いただろうか。

そう思うと、なんだかはずかしくなったのだった。

窓口のおねーさん

2007年3月29日
しばらく使ってない通帳、暗証番号がなんだかわからない。

なんとなく浮かぶ4桁の数字はわかるが、あまり自信がない。

今回、入金するにあたって、キャッシュカードが使えないようでは

不便である。

そこで、窓口で聞いてみた。

「暗証番号は、個人情報ですのでお教えできません」

ほぅ・・・・。

私の個人情報を「私が」知ることが許されないと?

「なんとなくわかっている暗証番号でやってみればいいでしょうか」

「3回までです。3回以上は、使えません」

ほぅ・・・・。

3回やっても番号が違うと「こいつはあやしい」と機械に判断される
わけね。

「新たに暗証番号をお作りになる場合、1050円かかります」

ほぅ・・・・。

2371円しか入っていない通帳のために、1050円かかるとは。

だったら、これを解約して新しい通帳を作ったほうがいいんじゃない
のサ。

で、試しに4桁押して残金確認したら、あってた、あってた4桁の
数字。

いつも使う数字じゃなくて、これだけ特別に暗証番号替えたんだよ
なぁ・・・。

「暗証番号あってました」

私はあやしい人間ではありゃ〜せんと、おねーさんに伝えるために、

ATMを使わずわざわざ窓口で入金したのだった。

電卓

2007年3月28日
朝、弟が出勤前。

母「はい、ハンカチ」

弟「うん」

「電卓持った?」

「うん」

ふ〜ん、きょうから電卓持って行くんだ〜と私は、食器を片付け

ながら聞いていた。

母「あ、電卓じゃない、ケータイよ、ケータイ」(笑)

「電卓って言ってるけど、どーせケータイの事だろうと思ってたよ」

確か、私にも「電卓持った?」って言ってたときあったよなぁ。

まぁ、ケータイに電卓ついてるから、「電卓持った?」でもいいん

だろうけど。(笑)
ATMで6万2千円をおろす。

んが!千円札で62枚出てきた。(怒怒)

いったいどぼじて〜〜〜!

        *******

今度は、左目が出血。

プチ出血だけど・・・・。(ノ_・。)クスン

シンクロを期間中、ずっと真剣に見ていたからだ・・・・。

テレビとパソコン禁止令が出た・・・。

ゆらぎ

2007年3月24日
 えんじ色

 だれに語らん

 血のゆらぎ

赤い目

2007年3月23日
母の友人が、毎年送ってくるいけ花の展覧会のチケット。

さそわれたが、留守番することにした。

母の友人4人と一緒なんて気を遣うし、それに××流の花展はつき

あいで毎年見てきた。

はっきり言って、あきてきたというか、もう流派の活け方や花材の

使い方など、毎回おんなじなんだもの。

私も流派こそ違うが、かつて活け花をやってきたが、今はほとんど

興味がないし学んだ事も、ほぼ忘れた。(笑)

私が興味あるのは、土に植えてある花や木。

        ********

午後から買い物に行こうとメイクをし始めたが、この赤い目が
ねぇ・・・・。

行くのをやめようか、と思って何度もメイクの手が止まる。

すごい目立つよ、この赤。

結局、天気がいいので出かけたが、人に目を見せないように意識して

いるものだから、うつむき加減で姿勢が悪い。

カッコ悪い。

だからいまいち、気持ちも弾まない。

バーゲンしていたストレッチ素材のズボン(パンツ)を買って、そそ

くさと帰ってきた。

目ひとつで、これだもんねー。

気にしすぎって言われたけど、ホント気味悪いんだもん、この目。

早く、赤みがとれないかなぁ。

気味の悪い目

2007年3月22日
朝6時、朝食の準備をしていたら、右目がチクッと痛んだ。

最近、コンタクトを入れるとすぐ痛くなるが、その痛みに比べたら

どうってことない痛みだった。

また、まつ毛でも入ったかなと思って、鏡を見ると、右目の白目

出血!!

(パッと鮮血が飛んだようになっている状態を出血と言い、充血とは
違う)

出血直後だったようで、ゾッとするような赤。

自分の目だというのに、気味が悪い。

いつも、ほ〜れ、見てごらんと家族に見せて楽しんでいるのだけど、

きょうはそんな気持ちになれない。

緑内障のため、月1回は眼科に行っているが3月だけは予約がない。

9時に予約外だが、眼科に行った。

暗室でいろいろ診てもらったが、「大丈夫ですよ。ふつうの出血

です」と言う。

眼圧は左右とも13。まぁまぁってところか。

それにしても、気味が悪い。なんかの映画に出てきそうな目だ。

ウグイスの声

2007年3月21日
きょうは弟がバイクでお墓参りに行った。

「ウグイスが鳴いているよ」とケータイで言ってきた。

あぁ、そういえばきのうも「ホ〜ホケキョ」って聞こえたから、

へ〜、うぐいすがいるんだぁ、あとで母に教えようと思っていた。

管理棟に戻ってきてお茶を飲んでいたら、また「ホ〜ホケキョ」と

聞こえたので、あ〜、CDで鳥の声シリーズかなんか流してるのねと

思って、やり過ごしたが、あ〜、あれって本物だったのか・・・。

スーパーとか商店街とかで、鳥の鳴き声を流しているのを聞いている

ものだから、ついそう思ってしまうのね。

「おやじ、喜んでるだろう、鳥が好きだったから」と弟。

そうだね、きっと。

「で?風は強くなかった?」(にやり)

「全然・・・」

ちっ!逆たいまつ状態のお線香、経験しなかったんだ・・・。(鬼)

あの霊園、丘の上だから年がら年中、風が強いのかと思った。

お墓の前でお線香に火をつけたほうがいいよ、とチャッカマンを

手渡したんだけどね。
お彼岸なので、母とお墓参りに。

1週間前に納骨で来たんだけど。

天気はすこぶるいいが、風が強い。

管理棟でお線香に火をつけてもらったまではよかったが・・・。

外に出て歩くうちに、お線香の火が風にあおられて、私の手の方へ

ボーボー燃え出した。

ひゃ〜〜〜〜、燃える〜燃える〜〜燃える〜〜〜。

あちちちちちち・・・・。

持っていられなくなって、地面に置こうとしたがここは全部芝墓地。

しかも、今は冬枯れの芝である。

乾燥している上にこの強風。

芝に燃え移って、霊園の芝、全焼!なんてことになったら。

おい、新聞ざただよ!!

「墓参の女、お線香の火で芝墓地、全焼させる」なんて新聞の

見出しが頭によぎる。

いや!それだけは、できない!

芝生、全焼か、やけどか、それしかない!

あちちちちちぃぃぃぃ。

左手に持つ方のお線香は、モウモウと煙がたち、右手のお線香は

たいまつのように炎をあげている。

しかも、逆たいまつ状態。手首の方に火がボーボーきてる。

向かい風なので姿勢を低くして、後ろ向きに父のお墓まで行くという

妙な格好。

あっちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!!

最後はもう、我慢できなくて香炉にお線香を投げ入れた。

おとうさん、ごめん!

お線香なのに、まるで暖炉にまきをくべるように入れちゃったよ。

まぁ、お線香を束のまま、横向きに入れる香炉でよかった。

香炉に入れても、風でボーボー燃えていたから、たぶんすぐ燃え
尽きたと思う。

お墓参りというより、我慢大会みたいであった。
チビタのえさを買いに動物病院へ。

先生「元気ですか〜、チビタちゃん」

「はい、お陰さまで元気です」

「そう、チビタちゃんは、外に出ますか?」

「はい、ちょっと出てすぐ帰ってきます。やっぱり寒いんでしょう
かね」

「そうだね、どんなに寒くても1枚しか着てないからね」

1枚しか着てないって。(笑)

確かに1枚だ、赤トラ色の。(笑)
日比谷花壇から、母の友人が花を送ってきた。

白いユリを真ん中に、カーネーション、フリージア、ガーベラなど

ほとんど白で統一されたアレンジメントだ。

私が買ってきたうす桃色のユリもお供えしてあるので、今、仏壇の

前はたくさんの花があふれている。

「おとうさん、花がいっぱいでありがたいわねぇ・・・」

私がそう言うと、「そうよ、最後の入院をした時、『花の絵を描き

たい』って言ってたから、きっとあちらで花を描いているわよ」

かたわらで母が言う。

ふとあの世で父が、花の絵を描いている姿を想像したら、鼻の奥が

ツーンと痛くなった。

そうだ、忘れていた。

花の絵を描きたいと言われて、父の望む本を探して歩き、やっと

見つけてすぐ届けに行ったっけ。

でも、結局体調が悪くなっていって、ついに1輪も描けないまま

旅立ってしまった。

看護師さんに、「そろそろ荷物を少しずつ片付け始めてください」と

言われた時も、スケッチブックだけは家に持って帰る気になれない

でいた。

もしかしたら、突然「絵を描くぞ」と言うのではないかと、わずかな

希望を捨てられずにいたのだった。

スケッチブックを持って帰るときは、父が亡くなった時と決めていた

ので、もしも持って帰ったら、父は亡くなってしまうのではないかと

さえ思っていた。

スケッチブックが父の手に届く場所にある限り、父の命もまた私の

手が届く位置にある。

おかしいかもしれないが、スケッチブックに父の命の長さを託して

いたとも言える。

だから棺に、スケッチブックと絵筆、絵の具を入れたのだ。

「そう言えば、おとうさんの絵の中に、このうす桃色のユリを描いた

ものがあったよね」

「そうだっけ?」母は言う。

確かにあったはずだ。

もう亡くなって5ヶ月たったというのに、父の部屋は何も手付かずの
ままだ。

スケッチブックを開いてみることすらしていない。

「玄関の絵、あれ、夏の絵じゃない?何か今の時期にふさわしい

ものに取り替えたいんだけど、おとうさん、あれを飾ってから入院

したからねぇ・・・」

「うん・・・・」

海の絵だ。入院した時は夏だった。

父が気に入って飾った絵を取り外して、別なものに替えたら、

あの世で元気だった頃のように怒るだろうかと考えると、なかなか

決断できないまま、穏やかな海に浮かぶヨットの絵が飾られたままで

ある。
きのう、弟と喧嘩をした。

喧嘩をしたといっても、お互いいい年だから面と向かってガンガン

言いあったわけじゃないが。

「あ〜、そう!『あぁ、言っちゃぁだめ、こう言っちゃぁだめ』って

もう何も言わないわよ。神経質にもほどがある!」

私はそう母に言い捨てて2階に上がった。

夕食の後、弟はもちろんのこと、母とも口をきかず部屋に入ったまま
寝た。

そして、今朝「おはよう」と言い、弟が会社から帰って来たときに

「おかえり」と言ったきりだ。

たった3人の家族だっていうのに、喧嘩して口をきかないなんて
嘆かわしい。
みんなに「お誕生日おめでとう」と言ってもらい、とても

うれしかった。

去年、父が亡くなったので新年を迎えても「おめでとう」という

ことばを言うことも、使うこともなくきた。

やっと「おめでとう」という言葉に出合った。

「おめでとう」をありがとう。

連絡ミス

2007年3月13日
3月11日分の、続きです。

ひじょーに長いのです。たぶん読んでてイヤになります。(笑)

場所はホテルの2階にある日本料理屋「きじま」。

ホテルの駐車場は、ここまで照明をケチるかというほど、真っ暗で
あった。

先頭で入ったのは、私が乗る叔母の車。

そのうしろに従兄が来ている、と思ったのだが、7階に車を止めた

時には従兄がどこにいるのかわからなくなってしまった。

ここでまったくの連絡ミスをしてしまったことに気づかされた。

前もって、霊園から新横浜プリンスまでの地図を郵送しておいたの

だけど、会食をする店の名前も何階かも、それに記載していなかった
のだ。

駐車場から、どこへ行ったらいいのかわからないに違いない。

そこで、叔母と従兄の車を探し見つけたが、ふたりはいなかった。

わ〜〜、どうしよう・・・・。

とりあえず、店に行ってみることにした。

エスカレーターに乗ったとき、下にいる従兄たちを発見。謝る。

次は、兄たちと叔父夫婦が来ない。

駐車場で叔父夫婦を見失ったとケータイで知らされた。

もう、この時ばかりは本当に困った。

叔父夫婦に、誰もケータイの番号も教えていない。

もう、焦る焦る。母、兄、弟、私と手分けして探した。

もうこれは怒って、八王子まで帰ってしまうかもしれない。

叔父夫婦がフロントで聞いてくれればいいけど。

そこへ、母から電話。「見つかったって、怒っているって」

やっぱり!!

案内図を作ったのは私だった。

もう、ひたすら平謝り。

叔父夫婦は、笑って許してくれたけど・・・。

平日に母と下見しに来た時は、ほとんど人がいなかったのにホテル

内は混んでいた。

「きじま」も、日曜日の1時だからか、予約していない客がかなり
待っていた。

予約が遅れたために、「個室は取れません」と言われたのに、通され

た部屋は広々としたきれいな個室だった。

喪服姿が十数人も入って行ったら、他の客に迷惑だろうと思っていた
のだけど・・・。

やっぱり配慮してくれたのだろう。

部屋に入ってからも、3人で親戚のみんなに謝った。

そのあと、兄に「そういうものは、ミスがないかちゃんと確認して

から送るものだろう。

Y(弟)に見てもらうとか、おれにこれでいいかと見せるとか。

会社で仕事をしたことのないあかりは、どこか落ち度があるんだよ」

と小声で私に言う。

「本当にそうね」と答えたが・・・・。

迷惑をかけた親戚の人たちに、そう言われるのならわかる。

しかし!

納骨式の案内状送付や会食をどこでするか、料理はいくらのもの、

時間、香典のお返しに渡す品物を何にするか、父の墓前にお供え

するものを揃えたりするのに、どれほど奔走したのか、何もしな

かったあ〜たにね!言われたくない。(怒)

        ********

お料理もおいしく、みんな満足してくれた。

普段は、懐石料理なんて縁がない生活だけど、父のことがきっかけに

あちこちで食べてきたが、ここが一番料理はもちろんのこと、サービ

スも部屋や店の雰囲気も全部よかったように思う。

        ********

母は帰宅すると、「あぁ、よかった、よかった。これでホッとした

わ〜。ほんとに無事に終わってよかった。やっと区切りがついたわ。

お父さんもホッとしているでしょうね〜」と何回も何回も言って
いた。

ホントに、無事に納骨ができてよかった。
きょうは私の○○日。

風雲児さんのまねっこ。(笑)

ケーキにろうそくを立てようとしても、多過ぎてささらないの。

あら、直径20センチの丸いケーキじゃなくて、

三角のショートケーキに決まってるじゃない。

いやねぇ・・・。おほほほ。。。

納骨式

2007年3月11日
きょうは、父の納骨式が11時から始まる。

親戚はみんな車で来るというのに、私だけあぶれ、ひとり霊園に

電車で向かう。

兄の車は5人乗りだけど、甥っ子が欠席するので、母と遺骨を持つ

弟を乗せて行くことになった。

「あかりは、電車でいいのか?○さん(兄嫁)と△(姪っ子)が電車

でいいって言ってたけど?」と前日、電話で聞いてきた。

そんな!あ〜た!

兄嫁さんと姪っ子を電車で行かせて、妹の私が車に乗れるわけないで

しょう。しかも、当日は雨だっていうし・・・。

初めから電車で行くと決めていたし、近いんだから大丈夫、
と断った。

電車で行く方がどれほど気楽か。

私は兄の車に乗ると、兄になにかと文句を言われたりする。

「もっと足を低くしろ」とか「前のめりに座るな」とか、バック

ミラーで私の事を見て、怒ってばかりいる。

5人乗ると、たいてい私は真ん中になるので、足の置き場がないから

そういう姿勢になるのに、と思っても怖いからとなにも言えない。

だから、兄の車に乗ると私は緊張する。

どれだけ、電車で行く方が気分がいいか。

納骨だというのに、朝から雨。

お昼には雨があがると天気予報で言っていたけど、どうなるんだろう。

11時に始まるが、親戚を出迎えなければならないので、霊園には

10時に着くように行った。

風が強いので、横殴りの雨が容赦ない。

墓地を見たら、ビーチパラソルのような青い傘がお墓に立てられて
いた。

霊園の人に聞いたら、40分くらいかかると言われた。

いや、40分も寒い外にお坊さんも親戚も立たせておくわけには

いかないと急きょ、管理棟の部屋を借りる事になった。

祭壇にお花、果物、和菓子、お酒、ビールなどをお供えする。

遺影につけた黒白のリボンは、「これは四十九日までなんですよ」と
教わる。

四十九日までがお葬式といい、それを過ぎると法事というのだ
そうだ。

お経のあと、お坊さんのお話。

「○○さんは、阿弥陀如来さまに導かれ極楽浄土に向かいます。

そして、そちらでご家族を見守っていかれるのです。

残されたご家族が健康に留意して、幸せに暮らしているのが仏様に

とって、それが何よりのご供養となります」

それを聞いた途端、涙がじわりと目を曇らせた。

もう父が病室で苦しんでいた姿はわすれよう。

時折それを思い出し、私は胸を痛めてきたが、もう、いいのだ。

忘れていいのだ。

父は、浄土へ導かれ、もうどこも痛いところも苦しいところも

ないんだから。

私は、その言葉に救われた気がした。

同時にそれは、いろいろ娘として至らなかったことへの許しともとれ
た。

        ********

式が終わって外に出たら、あれほど降っていた雨があがり、青空が

見え始めていた。

みんな空を見上げ安堵する。

墓前でお経のあと焼香をすますと、いよいよ父の納骨である。

係りの男性が慎重にカロートに納める。

「どうぞ、お写真を撮ってください」とお坊さん。

え゛っ。

弟が「撮るもんなの?」

私の後ろを通るとき、ボソっとつぶやいて写真を撮った。

弟は躊躇していたが、ポケットにデジカメ持ってきてるじゃない。(笑)

和型と言われる、昔からあるお墓の形ではなく、うちは洋形を

選んだ。

(コッチの方がいくらか安いし、兄いわく「すっきりして格好がいい」)

そのため目線に花立てがなく、下を見るような角度になるためか、

たくさん持って来たつもりの花が、少なく見えた。

無事に納骨が終わった。

そして、会食をするため新横浜プリンスホテルまで車で分乗。

私は、ひとりで来た叔母に乗せてもらった。

この前のように、叔母と兄、叔父が行く道のことでまたもめ、ホテル

についてから、またひと騒動起きたのだった。

落下の相

2007年3月9日
朝、弟が食べ終わったうどんのどんぶりを、片付けようと手を伸ばし

たら、すべって汁を全部テーブルの上にひっくり返してしまった。

テーブルの上にあった書類から、最悪なのは椅子にかけてあった

弟のジャケットにまで汁が流れてしまった。

しかも、弟がきょう着て行くジャケット!

「もう、起きてこなくていいから!何も手伝わないで!」母が激怒。

「寝ぼけて起きてきてすぐやるから、こんなことになるのよ!」

母は弟のお弁当作りの手をとめて、タオルでジャケットに飛び散った

汁をたたくようにして言った。

私は、本当に毎日毎日いろいろなものを落とす、倒す、こぼすので
ある。

りんごを切っていて、すっかり皮をむいた途端シンクに落とし、しか

もそれが排水溝にまで転がり落ちるなど。

丸くもないのに、これじゃ「おむすびころりん、すっとんとん」だ。

1日に何回も物を落とす。

鍋のふたを落とした拍子に、ざるが落ち、ざるの上にあった菜箸が

落ちるなんてことは、しょっちゅうである。

とにかく、キッチンで物をよく落とし、それもすさまじい音をたてて

落ちるものだから、父に何十回そのことで、怒鳴られた事か・・・。

わざとやっているわけでもないのに、どれだけ悔しい思いをしたことか。

よく水難の相とか女難の相などと言うが、私の場合は落下の相がある
らしい。

でも、きょうの場合はホントに最悪に思えた。

自分のものならまだしも、弟のジャケットとなると怒られただけじゃ

すみそうにない。

しかし、母が汁をすばやく落としてくれたのと、ジャケットの色が

黒っぽい色だったので、目立たず乾いてくれた。

はぁ〜〜、なんとかしてくれ、この落下の相。

幸い、弟にはばれずにすんだが・・・。ごめんよ、弟。

        ******

やれやれと思う間もなく、洗濯物を干すためにベランダに出たら、

立てかけてあったアルミ製のさおを倒し、それがエアコンの室外機に

当たって、ガチャ〜〜ン!!

なんでこうなるのっ。

でざーと

2007年3月8日
きのうの出かけた時の格好より、きょう家の中にいる格好の方が

ずっと厚着である。

ここのところ、出かけてばかりいたので、階段など相当ほこりっ

ぽかったので、フローリングワイパーで拭きまくる。

チビタは掃除機が大嫌いで、やり出すと外に出て行ってしまう。

ついかわいそうだからと、掃除機をかけずにきたが、きょうばかりは

さすがにやらねばと掃除しまくり。

ふとんも干した。

午後、スーパーでおつかいをしている最中、胃が痛くなってきた。

最後にお菓子を入れようと思っていたのに、ゆっくり見ていられなく

なり、それでもこれだけは常備してなくちゃだめという、チョコレート

を入れて帰ってきた。

ここのところ、ずっと胃が不調。

だけど、体重が減らないのは、夜にアイスクリーム(抹茶味)を毎日

食べているかららしい。

毎日と言ったって、おおさじ1杯くらいを取り分けて食後にペロペロ

するくらいだから、いいかと思ったんだけど・・・。(笑)

チョコとアイスクリームは人生の楽しみの一つと言っても、おおげさ

じゃない。
        
        ********

ご無沙汰〜。これから、皆さんの日記を読ませて頂きま〜す。

鳥になって

2007年3月7日
3月に入ってすぐに、石材屋さんから「お墓ができました」と手紙と

写真が届いた。

納骨式当日にできたお墓を見るより、前もって見ておきたいという

母の希望で、やっときょう横浜の現地へ行って見てくることが
できた。

もう3月だからと、セーターの上に薄いジャケットを着て出かけた

私は、もう寒くて寒くて仕方なかった。

霊園は、駅から車で5分ほどなので平日に行っても、物騒でないのが
いい。

うちの本家のお墓は、木がうっそうと茂った多摩にあるため、女、

子供だけで行くのは、どうにも危険なところである。

出来上がったお墓を見る。

○○家、その手前の墓碑に父の名前と年齢、戒名が彫られてあった。

そうか、父は今度はここに入れられるのか。

そう思うとなにかホロリとしてしまい、つるりとしたグレーの

墓石をそっと撫でただけだった。

丘に造られた小規模の霊園であるが、見晴らしがよく西に山々の

稜線がうっすらと連なって見える。

広い青空と、冷たい冬の風が強く吹き抜けていく。

墓地には太陽が惜しみなく注がれている。

そんな場所ではあるが、本当にここでよかったのだろうか。

父は、この場所を気に入ってくれるのだろうか、と考えてしまう。

「千の風になって」の歌詞が頭をよぎる。

私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません

千の風になって あの大きな空をふきわたっています

そう、ここに父の遺骨を入れても、父はここにはいないに違いない。

父は病気になる前から、「死んだら鳥になる」と口癖のように言って
いた。

だから、歌詞の「朝は鳥になって あなたを目覚めさせる」という

ところが父を想わせる。

まぁ、「あなたを目覚めさせる」ということは考えられないけど。

デジカメでお墓の写真と景色がいいので遠くの山々を写した。

帰りは、納骨式のあと会食をする某プリンスホテルまで行き、お店を

確認してきた。

寒いので、ダウンを着ている人やマフラーをしている人もいる。

正しいよ、あなたたちは。

3月だからなんて、人の目を気にして春っぽい格好をして、すっかり

冷え切ってしまった。

途中で、持って来たホカロンを貼ったけど、今度来る時はしっかり

冬物で装備してこなくては、と思ったのだった。

        ********

毎度、湿っぽい話ですみません。

に〜〜ん

2007年3月6日
やっときょう、仮歯をとって陶歯が入る〜♪と思って歯科へ行ったら

陶歯を入れてくれたんだけど、仮付けだった。

先生は私が受付をする前に、どこから見ていたのか「○○さん来た

よね」と、張り切っている声が聞こえてきた。

陶歯を入れると「ほ〜ら、すごい本物に近いでしょう。色といい形と

いい。あの機械あったでしょう。あの機械がピッと鳴ったところが、

あなたの歯の色に一番近い色ってことなんだよ〜。ほら、鏡持って

見てみて」と手鏡を渡される。

おっ!確かに、本物に近い。どれが差し歯か、わからない。

に〜〜〜ん。

保険がきかないだけある・・・・。高い・・・。ず〜〜〜ん。

73500円。

ななまんってあ〜た!しかもプラス消費税って。

でも、この歯医者さんは良心的みたい、他だったら8万〜9万くらい

するみたいだし。

駅のトイレで鏡を見て再び、に〜〜ん。

家に帰って母に見せてまた、に〜〜ん。

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