母の友人二人が、父が亡くなった事を知って拝みに来てくれた。
母が今月は忙しいからと何回も断ったのだけど、強引に押しかけて
来たという状態。
朝から、もてなす料理作りに翻弄される。
まぁ、それはいいとして・・・。
「なんの病気だったの?」「苦しんだの?」「さびしくなったで
しょう」と私に立て続けにおっしゃる二人。
「今は、忙しくて・・・。でも、やはり存在感のある人でしたから・・・」
おばさんA「そうよ、これからどんどん淋しくなるわよ〜」
おばさんB「そうそう。これから、もうどんどんどんどん淋しく
なってくるのよ〜。淋しいわよ〜」
と、まるでイカサマ催眠術師のように、
「どんどんどんどん、さびしくなる」を強調なさる。
自分から「日ごとに淋しくなってきました」と言うのならいいが、
他人が「どんどん淋しくなるわよ」と使うものだろうか。
よく「おいくつで亡くなったの?おばあさん」
「90です」などと言うと、「あら、それじゃぁね。年に不足はない
わね(にっこり)」などと言う人がいるが、「年に不足がない」
という言い方は、失礼である。
たとえ、90であろうが100であろうが、生きていてもらいたいと
願っている家族もいるのだ。
だいたい亡くなった人との関係の深さなど、知る由もないだろう。
亡くなった人とどういうふうに、向き合ってきたか、どれほどの
温かい思いが重ねられていった日々なのか、他人にはわからない
絆の深さがあるのだ。
******
「亡くなったのは何時?」「みんな間に合ったの?」などなど、
ホントに相手をしていて、思い出したくないことを根掘り葉掘り
聞きだそうとする。
だめなんだ。
自分が思い出して、話の合間にその時のことを言うのは平気なんだ
けど。
ふだんは、父のことを心の奥底へ閉じ込めておきたいのに、無理に
記憶を呼び覚ますようにしむけられるのは、つらくなるばかりなんだ。
それこそ、どんどん悲しくなっていく。
こういうことが起きると、いろんな人がお悔やみを言ってくれるけど
中には「人の不幸は蜜の味」っていう人も何人かいた。
物見遊山、丸出しって感じの人。
やれやれ、お客さんが帰っていってホッとしてる。
母が今月は忙しいからと何回も断ったのだけど、強引に押しかけて
来たという状態。
朝から、もてなす料理作りに翻弄される。
まぁ、それはいいとして・・・。
「なんの病気だったの?」「苦しんだの?」「さびしくなったで
しょう」と私に立て続けにおっしゃる二人。
「今は、忙しくて・・・。でも、やはり存在感のある人でしたから・・・」
おばさんA「そうよ、これからどんどん淋しくなるわよ〜」
おばさんB「そうそう。これから、もうどんどんどんどん淋しく
なってくるのよ〜。淋しいわよ〜」
と、まるでイカサマ催眠術師のように、
「どんどんどんどん、さびしくなる」を強調なさる。
自分から「日ごとに淋しくなってきました」と言うのならいいが、
他人が「どんどん淋しくなるわよ」と使うものだろうか。
よく「おいくつで亡くなったの?おばあさん」
「90です」などと言うと、「あら、それじゃぁね。年に不足はない
わね(にっこり)」などと言う人がいるが、「年に不足がない」
という言い方は、失礼である。
たとえ、90であろうが100であろうが、生きていてもらいたいと
願っている家族もいるのだ。
だいたい亡くなった人との関係の深さなど、知る由もないだろう。
亡くなった人とどういうふうに、向き合ってきたか、どれほどの
温かい思いが重ねられていった日々なのか、他人にはわからない
絆の深さがあるのだ。
******
「亡くなったのは何時?」「みんな間に合ったの?」などなど、
ホントに相手をしていて、思い出したくないことを根掘り葉掘り
聞きだそうとする。
だめなんだ。
自分が思い出して、話の合間にその時のことを言うのは平気なんだ
けど。
ふだんは、父のことを心の奥底へ閉じ込めておきたいのに、無理に
記憶を呼び覚ますようにしむけられるのは、つらくなるばかりなんだ。
それこそ、どんどん悲しくなっていく。
こういうことが起きると、いろんな人がお悔やみを言ってくれるけど
中には「人の不幸は蜜の味」っていう人も何人かいた。
物見遊山、丸出しって感じの人。
やれやれ、お客さんが帰っていってホッとしてる。
喪中の挨拶状
2006年12月11日父がなくなってきょうで2ヶ月たった。
やっと先週、デパートに香典返しのリストを作って渡し、きょうその
確認書が来た。
何回も何回もリストを書き直し、やっと忙しさから開放された。
喪中の挨拶を出してから、香典や手紙を送ってくる人がいて、その
返事を母は毎日書いている。
その慰めのことばがしたためられた手紙を読むと、今さらながら
悲しくなる。
ひと通りの挨拶の後「祈りは届かないものなのですね」と書いてきた
父の友人の一文には、胸が熱くなった。
治るようにと、お札を買ってきてくれたり、はげましの手紙を何回も
書いてきてくれた人だった。
こうやって、他人まで悲しい思いにさせてしまったことを私たちは
後悔している。
ましてこの人は、脳梗塞を患っている身でいるからこそ、余計
申し訳ないのだ。
遠く離れた友人に、父が自分で病気のことを打ち明けたのだが、
それは間違いだったよと、父に伝えたい。
喪中の挨拶状も、父宛に年賀状をくれた人に出したが、果たして
それでよかったのかと、私たちは今も考えあぐねている。
やっと先週、デパートに香典返しのリストを作って渡し、きょうその
確認書が来た。
何回も何回もリストを書き直し、やっと忙しさから開放された。
喪中の挨拶を出してから、香典や手紙を送ってくる人がいて、その
返事を母は毎日書いている。
その慰めのことばがしたためられた手紙を読むと、今さらながら
悲しくなる。
ひと通りの挨拶の後「祈りは届かないものなのですね」と書いてきた
父の友人の一文には、胸が熱くなった。
治るようにと、お札を買ってきてくれたり、はげましの手紙を何回も
書いてきてくれた人だった。
こうやって、他人まで悲しい思いにさせてしまったことを私たちは
後悔している。
ましてこの人は、脳梗塞を患っている身でいるからこそ、余計
申し訳ないのだ。
遠く離れた友人に、父が自分で病気のことを打ち明けたのだが、
それは間違いだったよと、父に伝えたい。
喪中の挨拶状も、父宛に年賀状をくれた人に出したが、果たして
それでよかったのかと、私たちは今も考えあぐねている。
偽りのやさしさ
2006年12月3日きょう1日、朝から忌明けのお返しをするため住所録を作ったり、
中に入れる挨拶文は何枚かなど、贈り物へのお礼状を書いたり、
超多忙である。
兄の会社関係だけでも100人ほどいるので、間違いがないようにと
気を遣う。
確認したい事があって兄に電話をすると、必ず怒ったように返事を
返される。
私も母も、怒られてばかりいる。
父が亡くなって、「あぁ、もう、私や母を怒鳴る人がいなくなった」
と、ふと気づいた日があったのだけど・・・・。
それもつかの間、兄がしっかり父の後をついで、怒る。
自分の会社関係には、くれぐれもソツのないようにやってくれよな!
と言う。
だったら、自分でやれよ。
だいたい、自分の女房になんの後始末を手伝わさないなんて!
電話口で、私に怒るような言い方をしていて、「ちょっと待って、
××さん(妻の名)その右にあるの、取ってくれる?いや、それじゃ
なくて・・・」とものすごい優しい口調に切り替わる。(怒)
なに?そのギャップ!!
たいした大事にされてるのね、義姉さんは!
あ〜たさぁ!言ったよね。むか〜し、むかし。
私の友達が結婚相手を私に紹介してくれた時、その男は私には
ぶっきらぼうな返事の仕方をするけど、私の友人には「○○ちゃん〜」
と人前で優しくするんだよ、ヘンな人って兄に言ったら、「そういう
自分にとって大切な人だけに優しくするのは、本当の優しさじゃない
よ。本当に優しい人は、誰にでも優しいものだよ」って言ってくれた
じゃない。
あの時、20歳そこそこの私は、「お兄ちゃん、いいこと言うなぁ〜」
って感激したんだ。
あぁ、もうくたくただよ。
人間は死んで終わりじゃない。後始末に忙殺されているのが現状。
あぁ、どこかへ逃げ出したい。
「密葬」が、一番かしこい葬儀だ。
さっきまで私は腹をたてていたけど、それにも疲れたわ。
怒るって、体力消耗するのよね。
中に入れる挨拶文は何枚かなど、贈り物へのお礼状を書いたり、
超多忙である。
兄の会社関係だけでも100人ほどいるので、間違いがないようにと
気を遣う。
確認したい事があって兄に電話をすると、必ず怒ったように返事を
返される。
私も母も、怒られてばかりいる。
父が亡くなって、「あぁ、もう、私や母を怒鳴る人がいなくなった」
と、ふと気づいた日があったのだけど・・・・。
それもつかの間、兄がしっかり父の後をついで、怒る。
自分の会社関係には、くれぐれもソツのないようにやってくれよな!
と言う。
だったら、自分でやれよ。
だいたい、自分の女房になんの後始末を手伝わさないなんて!
電話口で、私に怒るような言い方をしていて、「ちょっと待って、
××さん(妻の名)その右にあるの、取ってくれる?いや、それじゃ
なくて・・・」とものすごい優しい口調に切り替わる。(怒)
なに?そのギャップ!!
たいした大事にされてるのね、義姉さんは!
あ〜たさぁ!言ったよね。むか〜し、むかし。
私の友達が結婚相手を私に紹介してくれた時、その男は私には
ぶっきらぼうな返事の仕方をするけど、私の友人には「○○ちゃん〜」
と人前で優しくするんだよ、ヘンな人って兄に言ったら、「そういう
自分にとって大切な人だけに優しくするのは、本当の優しさじゃない
よ。本当に優しい人は、誰にでも優しいものだよ」って言ってくれた
じゃない。
あの時、20歳そこそこの私は、「お兄ちゃん、いいこと言うなぁ〜」
って感激したんだ。
あぁ、もうくたくただよ。
人間は死んで終わりじゃない。後始末に忙殺されているのが現状。
あぁ、どこかへ逃げ出したい。
「密葬」が、一番かしこい葬儀だ。
さっきまで私は腹をたてていたけど、それにも疲れたわ。
怒るって、体力消耗するのよね。
いいえ、わたしは・・・
2006年12月2日電話が鳴る。
ディスプレイには、知らない番号が表示されたが、父の喪中はがきを
出してからそれを受け取った人から、お悔やみの電話がかかるように
なったので、今はなんでもかんでも電話をとることにしている。
「××化粧品ですが、お化粧品の紹介をさせて頂きます」と女性の声。
「あ〜、うちは年寄りと男しかいませんので・・・」と断る。
「あら、奥様ではないんですか?」
「いいえ、私はおじいさんです」
普段ならバレるかもしれないが、もともと私は声が低い上に、今は
風邪で声が野太い。
「あら〜、奥様かと思いました〜。ほほほほほほ〜〜〜」
甲高い声でひとしきり笑うと、向こうから電話を切った。
バレたかしらねぇ、女って。(笑)
ディスプレイには、知らない番号が表示されたが、父の喪中はがきを
出してからそれを受け取った人から、お悔やみの電話がかかるように
なったので、今はなんでもかんでも電話をとることにしている。
「××化粧品ですが、お化粧品の紹介をさせて頂きます」と女性の声。
「あ〜、うちは年寄りと男しかいませんので・・・」と断る。
「あら、奥様ではないんですか?」
「いいえ、私はおじいさんです」
普段ならバレるかもしれないが、もともと私は声が低い上に、今は
風邪で声が野太い。
「あら〜、奥様かと思いました〜。ほほほほほほ〜〜〜」
甲高い声でひとしきり笑うと、向こうから電話を切った。
バレたかしらねぇ、女って。(笑)
ピッと鳴らないわけ
2006年12月1日午後から母とデパートに行く。
駅の改札をスイカで通り抜けようとしたら、バタンとドアが閉まり
「係員をお呼びください」マークが出た。
あら、やだ。なんでよ。
私の後ろから来た男性も私のうしろでつっかえた。
「あ、すみません」とあやまる。
おかしいな・・・。
係員を呼ぶこともないだろうと、隣の改札に移り、スイカをペシっと
当てたら、残金の表示がないままだったが、ドアがあいていたので
そのまま改札を通り抜けた。
へんなの、でも、こういう事ってあるよな、とスイカをバッグにしま
おうと右手を見たら、なんと!あ〜た!
近所のスーパーのポイントカードじゃないですかっ!
これで、改札を抜けてきちゃったよ。
バッグに手を入れて、手触りでつかんじゃって確認しなかった・・。
降りる時、また改札でひっかかるな。
案の定、降車駅の改札でペシッとスイカを当てたら、ドアがしまった。
係員さんのところに持って行ったら、「どこから来ました?」
「○○です」
「改札を通ってませんね」
「いえ、通ったんですけど、ピッて鳴らなかったから、ヘンだなとは
思ったんですけど・・・・」と言っておいた。
まさか、スーパーのポイントカードで抜けてきたとは言えないから
ねぇ・・・。(笑)
駅の改札をスイカで通り抜けようとしたら、バタンとドアが閉まり
「係員をお呼びください」マークが出た。
あら、やだ。なんでよ。
私の後ろから来た男性も私のうしろでつっかえた。
「あ、すみません」とあやまる。
おかしいな・・・。
係員を呼ぶこともないだろうと、隣の改札に移り、スイカをペシっと
当てたら、残金の表示がないままだったが、ドアがあいていたので
そのまま改札を通り抜けた。
へんなの、でも、こういう事ってあるよな、とスイカをバッグにしま
おうと右手を見たら、なんと!あ〜た!
近所のスーパーのポイントカードじゃないですかっ!
これで、改札を抜けてきちゃったよ。
バッグに手を入れて、手触りでつかんじゃって確認しなかった・・。
降りる時、また改札でひっかかるな。
案の定、降車駅の改札でペシッとスイカを当てたら、ドアがしまった。
係員さんのところに持って行ったら、「どこから来ました?」
「○○です」
「改札を通ってませんね」
「いえ、通ったんですけど、ピッて鳴らなかったから、ヘンだなとは
思ったんですけど・・・・」と言っておいた。
まさか、スーパーのポイントカードで抜けてきたとは言えないから
ねぇ・・・。(笑)
やる気はあるのに
2006年11月27日きのう買ってきた「そうじ力」という本を読んで、よし!掃除を
しよう!とはり切っていたのだけど、午後になったら息苦しいし
動悸はするし・・・、結局布団の中にもぐりこんだ。
やる気はあるのに、体がついてこない。
今月になって、二度風邪をひいた。
治ったと思ったら、また同じ症状の風邪。
父の四十九日は、なにがなんでも出席しなくてはならないと、祈る
思いで過ごしてきて、それは無事すんだからいいのだけど・・・。
なんか、悔しいなぁ。また、発熱だ。
二度目の風邪がまだ治ってなかったってわけか・・・。
しよう!とはり切っていたのだけど、午後になったら息苦しいし
動悸はするし・・・、結局布団の中にもぐりこんだ。
やる気はあるのに、体がついてこない。
今月になって、二度風邪をひいた。
治ったと思ったら、また同じ症状の風邪。
父の四十九日は、なにがなんでも出席しなくてはならないと、祈る
思いで過ごしてきて、それは無事すんだからいいのだけど・・・。
なんか、悔しいなぁ。また、発熱だ。
二度目の風邪がまだ治ってなかったってわけか・・・。
短気の遺伝
2006年11月19日法要のあと精進落としをするために、兄の車を先頭に、目黒から某所
「木曽路」へ向かった。
私と母は、叔母の車に。
弟は、都内にあまり詳しくないという叔父の車に乗った。
私は、運転ができないので頭の中に道路地図が入っていない。
環八から環七に出るには、どう行けばいいのかなんて、てんでわから
ない。
兄の車について行けばいいといったって、信号で途切れたり、横から
入ってきたトラックなどで、前方を行く車を見失うことが起きるのは、予想できるのだが。
でも日頃、運転している叔母なら、ナビがなくても都内のことなら、
わかると思っていたのだけど・・・。
「環七まであと150メートルだって」と私。
それに対して、叔母は無言だった。
「あれ、Mちゃん(兄)見失っちゃった」と叔母。
「あ、あそこにいる!」
停車しようとしている車を指したら、叔母が減速をした。
「違うじゃない!!」
このあとに、「今、どこ走ってんの?」とケータイで兄と弟から
言われる。
「なんだ左折しなかったのかよ」などと、母は兄を相手に、私は弟を
相手にケータイで状況を話す。
それを叔母に伝える。
「いいわよ!××に行って、環七に出るから!」ブチ切れだした。
「だから、△△に向かうわよ!!わかんないの!」
もう、ケータイの兄と弟を相手に叔母はキレまくり・・・。
後部座席で、おろおろする母と私。
こんなやりとりが結構続いた。
結局、私のひと言で兄たちより15分ほど遅れて着いた。
もう、3人のキレまくりに緊張して乗っていた私と母は、即、トイレへ。
実は、この間に叔母と兄が言い合いをしだしたという。
口火を切ったのは叔母で、「だいたいあそこで指示しないとは、どう
いうことよ!」と兄に言ったそうだ。
それに、黙っていればいいのに、叔父(叔母の実兄)が参戦。
「お前の運転は下手だよ」
兄も、口達者で黙っていられない性格だし、気の強い叔母は負けたく
ない。
2対1になった。
弟は温厚な性格なので、3人が言うのを聞いていてハラハラしていた
らしい。
どうりで、私と母がトイレから戻ってきたら、叔母がブスっとして
いたわけだ。
「お料理お運びしてよろしいですか?」と係りの女性が部屋に来た
時も、誰も返事をしなかった。
母があわてて、「はい、揃いましたのでお願いします」と言ったん
だけど・・・。
私と母は、家に帰ってきてから弟に話を聞かされて驚いた。
そんなことがあったとは知らなかったけど、兄の車を間違って教えた
私が悪かったので、叔母に「すみませんでした」と帰り際に謝って
おいたんだけど・・・。
それにしても・・・。
叔母、叔父、兄のキレ具合というか短気というか・・・・。
これって、父も同じだから、わが○○家の血筋なのねぇ・・・・。
もう、みんなおとななんだから、我慢したり譲ったりしてよ。
乗せてもらっておいてなんだけど、叔母さん!ナビ買ったら?
影膳を前に、父は苦笑していたかもしれない。
「木曽路」へ向かった。
私と母は、叔母の車に。
弟は、都内にあまり詳しくないという叔父の車に乗った。
私は、運転ができないので頭の中に道路地図が入っていない。
環八から環七に出るには、どう行けばいいのかなんて、てんでわから
ない。
兄の車について行けばいいといったって、信号で途切れたり、横から
入ってきたトラックなどで、前方を行く車を見失うことが起きるのは、予想できるのだが。
でも日頃、運転している叔母なら、ナビがなくても都内のことなら、
わかると思っていたのだけど・・・。
「環七まであと150メートルだって」と私。
それに対して、叔母は無言だった。
「あれ、Mちゃん(兄)見失っちゃった」と叔母。
「あ、あそこにいる!」
停車しようとしている車を指したら、叔母が減速をした。
「違うじゃない!!」
このあとに、「今、どこ走ってんの?」とケータイで兄と弟から
言われる。
「なんだ左折しなかったのかよ」などと、母は兄を相手に、私は弟を
相手にケータイで状況を話す。
それを叔母に伝える。
「いいわよ!××に行って、環七に出るから!」ブチ切れだした。
「だから、△△に向かうわよ!!わかんないの!」
もう、ケータイの兄と弟を相手に叔母はキレまくり・・・。
後部座席で、おろおろする母と私。
こんなやりとりが結構続いた。
結局、私のひと言で兄たちより15分ほど遅れて着いた。
もう、3人のキレまくりに緊張して乗っていた私と母は、即、トイレへ。
実は、この間に叔母と兄が言い合いをしだしたという。
口火を切ったのは叔母で、「だいたいあそこで指示しないとは、どう
いうことよ!」と兄に言ったそうだ。
それに、黙っていればいいのに、叔父(叔母の実兄)が参戦。
「お前の運転は下手だよ」
兄も、口達者で黙っていられない性格だし、気の強い叔母は負けたく
ない。
2対1になった。
弟は温厚な性格なので、3人が言うのを聞いていてハラハラしていた
らしい。
どうりで、私と母がトイレから戻ってきたら、叔母がブスっとして
いたわけだ。
「お料理お運びしてよろしいですか?」と係りの女性が部屋に来た
時も、誰も返事をしなかった。
母があわてて、「はい、揃いましたのでお願いします」と言ったん
だけど・・・。
私と母は、家に帰ってきてから弟に話を聞かされて驚いた。
そんなことがあったとは知らなかったけど、兄の車を間違って教えた
私が悪かったので、叔母に「すみませんでした」と帰り際に謝って
おいたんだけど・・・。
それにしても・・・。
叔母、叔父、兄のキレ具合というか短気というか・・・・。
これって、父も同じだから、わが○○家の血筋なのねぇ・・・・。
もう、みんなおとななんだから、我慢したり譲ったりしてよ。
乗せてもらっておいてなんだけど、叔母さん!ナビ買ったら?
影膳を前に、父は苦笑していたかもしれない。
四十九日法要
2006年11月18日まだ墓地も決まっていないので、納骨ができないため、家族7人と
叔父、叔母の9人でお寺に行く事になった。
この四十日余り、毎日お線香をあげていたというのに、私は父の
遺影をじっと見つめる事ができないまま、きょうという日を迎えた。
日頃から、常に怒ってばかりいる人だったので、亡くなったとはいえ
父に対する脅威はいまだにぬぐえないでいる。
住職の手によって、父の遺骨の隣に遺影が置かれた。
葬儀の時は明るいホールで、たくさんの花に囲まれていた父の遺影
だったが、きょうは薄暗いお寺のお線香のくゆる向こうに、黒い
リボンで縁取られた父の顔がある。
お経が始まった時、私は10月の葬儀以来、久しぶりに遺影を正視
した。
男だからか、父の性格からか、あまり笑顔で撮られた写真を見たこと
がなかったが、母が葬儀屋さんに渡した写真は、めずらしく微笑んで
いるものであった。
「これ、どう?」
母に数枚の写真を見せられたとき、弟も兄も「これがいい」と言った。
「こんなのあったんだ」私は、手にとった。
ノーネクタイだがジャケットを着ている。
「うん、出てきたのよ」母が言う。
もしかしたら、父がこの写真をと、母に見つけさせたのかもしれない。
いくら癌とはいえ、父の生きているうちに葬儀に使う写真を用意する
ほど、周到でもないし、余裕もなかった。
毎日、必死に父と共に日々を重ねてきた。
よく見ると、それは絵画の展示会場で仲間が撮ってくれたようだ。
父はこの写真を撮られたとき、よもや葬儀の遺影に使われると、誰が
想像できただろう。
遺影とはそういうものなのかもしれない。
人は死ぬと四十九日は、霊となって自宅にいるというが、きょうを
境に、行くべき場所に行かねばならない、霊から仏へとなるのだ。
きょうはそのために送り出す節目の日になる。
焼香が続く。
あぁ、もう、父はいないのだ。仏様になったのだ。
そう実感した時、ぽろりと涙がこぼれた。
納骨まで、遺骨を預かってもらう。
これからは、毎日お経をあげてもらえる。
位牌、浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来の魂入れをしてもらい私たちは、お寺を出た。
9人が3台の車に分乗して料理屋に向かったのだが・・・・。
この父の法要の日に、まさか喧嘩になるとは・・・。
叔父、叔母の9人でお寺に行く事になった。
この四十日余り、毎日お線香をあげていたというのに、私は父の
遺影をじっと見つめる事ができないまま、きょうという日を迎えた。
日頃から、常に怒ってばかりいる人だったので、亡くなったとはいえ
父に対する脅威はいまだにぬぐえないでいる。
住職の手によって、父の遺骨の隣に遺影が置かれた。
葬儀の時は明るいホールで、たくさんの花に囲まれていた父の遺影
だったが、きょうは薄暗いお寺のお線香のくゆる向こうに、黒い
リボンで縁取られた父の顔がある。
お経が始まった時、私は10月の葬儀以来、久しぶりに遺影を正視
した。
男だからか、父の性格からか、あまり笑顔で撮られた写真を見たこと
がなかったが、母が葬儀屋さんに渡した写真は、めずらしく微笑んで
いるものであった。
「これ、どう?」
母に数枚の写真を見せられたとき、弟も兄も「これがいい」と言った。
「こんなのあったんだ」私は、手にとった。
ノーネクタイだがジャケットを着ている。
「うん、出てきたのよ」母が言う。
もしかしたら、父がこの写真をと、母に見つけさせたのかもしれない。
いくら癌とはいえ、父の生きているうちに葬儀に使う写真を用意する
ほど、周到でもないし、余裕もなかった。
毎日、必死に父と共に日々を重ねてきた。
よく見ると、それは絵画の展示会場で仲間が撮ってくれたようだ。
父はこの写真を撮られたとき、よもや葬儀の遺影に使われると、誰が
想像できただろう。
遺影とはそういうものなのかもしれない。
人は死ぬと四十九日は、霊となって自宅にいるというが、きょうを
境に、行くべき場所に行かねばならない、霊から仏へとなるのだ。
きょうはそのために送り出す節目の日になる。
焼香が続く。
あぁ、もう、父はいないのだ。仏様になったのだ。
そう実感した時、ぽろりと涙がこぼれた。
納骨まで、遺骨を預かってもらう。
これからは、毎日お経をあげてもらえる。
位牌、浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来の魂入れをしてもらい私たちは、お寺を出た。
9人が3台の車に分乗して料理屋に向かったのだが・・・・。
この父の法要の日に、まさか喧嘩になるとは・・・。
わがねんだァ
2006年11月17日水曜日の午後に、海外に行っていて葬儀に間に合わなかった叔父が
拝みに来てくれた。
私は十数年ぶりに会ったが、相変わらずパワフルな人だ。
この叔父、なんでも器用にこなすし、さまざまな知識も深い。
手紙など、巻物に墨で書いて送ってくる。
なになにで候(そうろう)などと、昔の言葉で書いてある。
この叔父、母方の人なんだけど、自分たちのルーツを調べ上げた人。
そのことを、今回詳しく聞く事ができておもしろかった。
叔父が帰って行った後、それまで家の中に淀んでいた重い空気が
一掃されたようになった。
パワフルな人って、悪いものも吹っ飛ばすのかもしれない。
こういう人が、近くにいたらなぁと思うが、姪っ子である私の評価は
かなり低い。
あっちの方言で言うなら「あれだばハァ、わがねんだぁ」あれでは、
だめなんだという意味である。
きょうはきのうの疲れが残っていて、一日中ゴロゴロしていた。
拝みに来てくれた。
私は十数年ぶりに会ったが、相変わらずパワフルな人だ。
この叔父、なんでも器用にこなすし、さまざまな知識も深い。
手紙など、巻物に墨で書いて送ってくる。
なになにで候(そうろう)などと、昔の言葉で書いてある。
この叔父、母方の人なんだけど、自分たちのルーツを調べ上げた人。
そのことを、今回詳しく聞く事ができておもしろかった。
叔父が帰って行った後、それまで家の中に淀んでいた重い空気が
一掃されたようになった。
パワフルな人って、悪いものも吹っ飛ばすのかもしれない。
こういう人が、近くにいたらなぁと思うが、姪っ子である私の評価は
かなり低い。
あっちの方言で言うなら「あれだばハァ、わがねんだぁ」あれでは、
だめなんだという意味である。
きょうはきのうの疲れが残っていて、一日中ゴロゴロしていた。
お位牌を作る
2006年11月16日父の位牌を仏壇屋に頼みに行った。
こういうものを決めるのは、とても気を遣う。
49日法要に、お寺で位牌に魂入れをしてもらうので、それまでに
作らなくてはならない。
7日から10日かかると言われたから、ギリギリだった。
なにもかも初めての事なので、相当緊張していた私はぐったりだ。
帰宅後、横になった。
調子が悪くても、ご飯を作ってくれる人がいるのは幸せな事だとつく
づく思う。
母も年なのに、申し訳ないと布団の中で思う。
こういうものを決めるのは、とても気を遣う。
49日法要に、お寺で位牌に魂入れをしてもらうので、それまでに
作らなくてはならない。
7日から10日かかると言われたから、ギリギリだった。
なにもかも初めての事なので、相当緊張していた私はぐったりだ。
帰宅後、横になった。
調子が悪くても、ご飯を作ってくれる人がいるのは幸せな事だとつく
づく思う。
母も年なのに、申し訳ないと布団の中で思う。
暗い
2006年11月15日眼科10時の予約。
父が入院していた病院なので、気が重い。
以前、別な医院で風邪薬をもらった帰り、この病院の前を通っただけ
で突然悲しみが襲ってきた。
父の亡くなる前後の記憶がよみがえってきたのだ。
それがなんともつらかった。
眼科では父も診てもらっていたから、医者に挨拶をしなくてはならない。
外来で待っている間、眼科の前には病棟に行く階段がある。
私は、いったい何十回この階段を上り降りしたのだろう。
この階段を上って行けば、父が病室にまだいるのではないかと、ふと
思ってしまう。
夏から2ヶ月に1度の受診だったが、やはり心配なので今まで通り
1ヶ月に1度にしてもらった。
「そろそろ視野検査を」と言われ、予約をしたら来年の1月だった。
最後に、「先生、父が10月に亡くなりました。生前は大変お世話に
なりました。ありがとうございました」と言うと、「しばらくいら
してないから、どうしたのかと思っていました。
お力落としのないように・・・」と気遣ってくださる。
「はい、大丈夫です」と答えたが・・・。
「お力」は落ちてますよ〜〜〜〜。
なんだか私たち家族3人、あんまり調子がよくない。
食事にうるさかった父がいなくなってから、食事のしたくも手抜き
がち。
3人とも暗い。
家族を亡くすということが、これほどまでさまざまなことに影響を
及ぼすとは・・・。
父のように、亡くなるまで4年の月日で「覚悟」のようなものを
徐々に固めてこられた私たちはまだいいが、事故や事件で急に
家族を失った人たちは、もっとつらいのだろうと思う。
テレビや新聞で様々な人の不幸を伝えているが、「死」を扱った
ものは見たくもないし、聞きたくもない。
家族の元気が戻るのには、どれくらいの日々を要するのだろう。
父が入院していた病院なので、気が重い。
以前、別な医院で風邪薬をもらった帰り、この病院の前を通っただけ
で突然悲しみが襲ってきた。
父の亡くなる前後の記憶がよみがえってきたのだ。
それがなんともつらかった。
眼科では父も診てもらっていたから、医者に挨拶をしなくてはならない。
外来で待っている間、眼科の前には病棟に行く階段がある。
私は、いったい何十回この階段を上り降りしたのだろう。
この階段を上って行けば、父が病室にまだいるのではないかと、ふと
思ってしまう。
夏から2ヶ月に1度の受診だったが、やはり心配なので今まで通り
1ヶ月に1度にしてもらった。
「そろそろ視野検査を」と言われ、予約をしたら来年の1月だった。
最後に、「先生、父が10月に亡くなりました。生前は大変お世話に
なりました。ありがとうございました」と言うと、「しばらくいら
してないから、どうしたのかと思っていました。
お力落としのないように・・・」と気遣ってくださる。
「はい、大丈夫です」と答えたが・・・。
「お力」は落ちてますよ〜〜〜〜。
なんだか私たち家族3人、あんまり調子がよくない。
食事にうるさかった父がいなくなってから、食事のしたくも手抜き
がち。
3人とも暗い。
家族を亡くすということが、これほどまでさまざまなことに影響を
及ぼすとは・・・。
父のように、亡くなるまで4年の月日で「覚悟」のようなものを
徐々に固めてこられた私たちはまだいいが、事故や事件で急に
家族を失った人たちは、もっとつらいのだろうと思う。
テレビや新聞で様々な人の不幸を伝えているが、「死」を扱った
ものは見たくもないし、聞きたくもない。
家族の元気が戻るのには、どれくらいの日々を要するのだろう。
オレンジ味のドロップ
2006年11月9日風邪ひき3日目。
咳をするたびに、のどから血が出てくるんじゃないかと思うほど、
イガイガ、ヒリヒリして夜中に何度も目が覚める。
「おはよう」と言ったら、「なにその声」と言われた。
声は美川憲一のように、低音の魅力。(笑)
ヴィックスドロップが手放せない。
咳をするたびに、のどから血が出てくるんじゃないかと思うほど、
イガイガ、ヒリヒリして夜中に何度も目が覚める。
「おはよう」と言ったら、「なにその声」と言われた。
声は美川憲一のように、低音の魅力。(笑)
ヴィックスドロップが手放せない。
どちらがいいのか
2006年11月8日午後、石屋(石材店)さんがお墓の資料を持って来た。
風邪をひいているので、母だけにまかせておけばいいと思って部屋で
横になっていたら、あとで、「一緒に話を聞いてくれればよかった
のに」と言われた。
いや、迷ったんだけどねぇ・・・、石屋さんの話なんてどこも同じでしょと思ってさ。
結局、勧められたのは日曜日にみんなで見に行った墓地と、同じ駅を
利用するもうひとつの墓地だった。
家から1時間以内で行けるなんて、これ以上のところはないんじゃ
ないかと思うんだけど。
「同じ駅を利用するのに、なんでこっちに行った時に、言わなかった
んだよ」と帰ってきてから、兄に言われた。
わかっていたけど、いろいろ調べた結果一件だけ選んだんだけど。
そんなに、ガタガタ言うならなぜ自分で調べてみないのだろう。
墓地を何件も調べて、石屋さんに連絡を取って駅まで迎えに来て
もらって・・・って計画を立てたのは私じゃないか。
自分でなにもせずに、人まかせで文句だけはきっちり言うなんて・・。
なんとか墓苑なんてあるけど、実際はいろんな石屋さんが請け負って
いることを知った。
日曜日に見に行った時に案内をしてくれた石屋さんと、同じ所なのに
きょう来た石屋さんも同じ様に紹介する。金額も同じ。
つまり契約を取ったもん勝ちってことか。
風邪をひいているので、母だけにまかせておけばいいと思って部屋で
横になっていたら、あとで、「一緒に話を聞いてくれればよかった
のに」と言われた。
いや、迷ったんだけどねぇ・・・、石屋さんの話なんてどこも同じでしょと思ってさ。
結局、勧められたのは日曜日にみんなで見に行った墓地と、同じ駅を
利用するもうひとつの墓地だった。
家から1時間以内で行けるなんて、これ以上のところはないんじゃ
ないかと思うんだけど。
「同じ駅を利用するのに、なんでこっちに行った時に、言わなかった
んだよ」と帰ってきてから、兄に言われた。
わかっていたけど、いろいろ調べた結果一件だけ選んだんだけど。
そんなに、ガタガタ言うならなぜ自分で調べてみないのだろう。
墓地を何件も調べて、石屋さんに連絡を取って駅まで迎えに来て
もらって・・・って計画を立てたのは私じゃないか。
自分でなにもせずに、人まかせで文句だけはきっちり言うなんて・・。
なんとか墓苑なんてあるけど、実際はいろんな石屋さんが請け負って
いることを知った。
日曜日に見に行った時に案内をしてくれた石屋さんと、同じ所なのに
きょう来た石屋さんも同じ様に紹介する。金額も同じ。
つまり契約を取ったもん勝ちってことか。
4と9は省略らしい
2006年11月5日墓地見学、兄夫婦はペットのわんこを連れないでやってきた。
「重いからやめた」と言う。
パンフの写真で見たより、あんまりだだ広くなくて私は気に入ったけど。
磁石を持って来たので、さっそく方位を調べる。
「そんなの持って来たのか!」と兄が驚くが、お墓は東向き、石は
白っぽいものがいいと私は決めていた。
某住職も「石は白い物がいいです」と言っていたし・・。
私はそれを信じていた。迷信だとか言う人もいるけど昔の人がいう
のには、理屈ではなく教えみたいなものがあると思っている。
なにか意味があるから、言い伝えられてきたんじゃないの。
「東向きだから、こっちがいい」と言うと、「いや、そっちはただの
道路だぞ。こっちのほうが景色がいい」と兄。
それに追い討ちをかけるように、石屋さんが「西向きですと、天気の
いい日は富士山が見えます」と言う。
「ほ〜ら、やっぱり西向きだよ」と喜ぶ兄。
別に富士山が見えるって言ったって、お墓の中に父が常住していて
見ているわけでなし・・・。
実際、墓地によっては東向きに方が5万〜30万ぐらい値が高い。
西方浄土に向かって拝むという意味があって、お墓は東を向いている
ほうがいいとされてるんだけど・・・。
石の見本を見せてもらったら、兄はグレーがいいっていうし・・・。
私の願いは、ことごとく却下されていく。
仕方ないか、私がお金を出すんじゃないんだから・・・。
「お墓の番号ですが、4と9はなく3の次は5になります」と石屋
さん。
お墓なのに4と9が省略されているなんて、なんかおかしい
なぁ。
そんなことにこだわる人がいるんだぁ。
病院やマンションだったらわかるけど。
「重いからやめた」と言う。
パンフの写真で見たより、あんまりだだ広くなくて私は気に入ったけど。
磁石を持って来たので、さっそく方位を調べる。
「そんなの持って来たのか!」と兄が驚くが、お墓は東向き、石は
白っぽいものがいいと私は決めていた。
某住職も「石は白い物がいいです」と言っていたし・・。
私はそれを信じていた。迷信だとか言う人もいるけど昔の人がいう
のには、理屈ではなく教えみたいなものがあると思っている。
なにか意味があるから、言い伝えられてきたんじゃないの。
「東向きだから、こっちがいい」と言うと、「いや、そっちはただの
道路だぞ。こっちのほうが景色がいい」と兄。
それに追い討ちをかけるように、石屋さんが「西向きですと、天気の
いい日は富士山が見えます」と言う。
「ほ〜ら、やっぱり西向きだよ」と喜ぶ兄。
別に富士山が見えるって言ったって、お墓の中に父が常住していて
見ているわけでなし・・・。
実際、墓地によっては東向きに方が5万〜30万ぐらい値が高い。
西方浄土に向かって拝むという意味があって、お墓は東を向いている
ほうがいいとされてるんだけど・・・。
石の見本を見せてもらったら、兄はグレーがいいっていうし・・・。
私の願いは、ことごとく却下されていく。
仕方ないか、私がお金を出すんじゃないんだから・・・。
「お墓の番号ですが、4と9はなく3の次は5になります」と石屋
さん。
お墓なのに4と9が省略されているなんて、なんかおかしい
なぁ。
そんなことにこだわる人がいるんだぁ。
病院やマンションだったらわかるけど。
墓地を探す
2006年11月3日朝から区役所に提出する書類を書き、香典返しの品をデパートのカタ
ログを見ながら決める。
今までは、もらう側でお返しの品が来ても「あぁ、来たな。タオルか
ふ〜ん」でしまってしまうものだけど、送る側になってみると、結構
あれこれとなかなか決まらない。
郵便局で弔事用の切手を買い、お葬式の時いろいろ手伝ってくれた
伯父夫婦と従兄に、とらやのもなかとモロゾフのクッキーを宅配便で
送った。
ちょうど出かける時、墓地の資料が届いていた。
夕方、その墓地の石材店から「お宅まで車で迎えに行きます」と電話
がかかってきた。
家まで迎えに来てくれるなんて驚いたけど、実際自分たちの足でどれ
くらいの時間がかかるかを知りたいからと断る。
最寄り駅までは、迎えの車を頼むつもり。
それにしても、墓地を見に行くのに私と母、弟、兄夫婦、この5人は
わかる。
が、ペットまで連れて行くという。電車で行くんだよ。
だいたいこの霊園を私がネットで探して、それをメールで伝えたら
兄から「ペットも同じ墓所に埋葬が可能」ってあるからいいんじゃ
ないと言ってきた。
父よりペット優先で考えたのかしら?
「だから、めずらしく夫婦で来るのね」と母。
父の見舞いには一度も来なかったのに・・・。
それを聞いて、弟は「ペットと同じ墓なんて冗談じゃない」と言い
出す。
兄夫婦にとってみれば、ペットはペットではなく「わが子」のよう
だからねぇ・・・。
いざお墓を買う時になって、もめるのは私はいやですよ。
ログを見ながら決める。
今までは、もらう側でお返しの品が来ても「あぁ、来たな。タオルか
ふ〜ん」でしまってしまうものだけど、送る側になってみると、結構
あれこれとなかなか決まらない。
郵便局で弔事用の切手を買い、お葬式の時いろいろ手伝ってくれた
伯父夫婦と従兄に、とらやのもなかとモロゾフのクッキーを宅配便で
送った。
ちょうど出かける時、墓地の資料が届いていた。
夕方、その墓地の石材店から「お宅まで車で迎えに行きます」と電話
がかかってきた。
家まで迎えに来てくれるなんて驚いたけど、実際自分たちの足でどれ
くらいの時間がかかるかを知りたいからと断る。
最寄り駅までは、迎えの車を頼むつもり。
それにしても、墓地を見に行くのに私と母、弟、兄夫婦、この5人は
わかる。
が、ペットまで連れて行くという。電車で行くんだよ。
だいたいこの霊園を私がネットで探して、それをメールで伝えたら
兄から「ペットも同じ墓所に埋葬が可能」ってあるからいいんじゃ
ないと言ってきた。
父よりペット優先で考えたのかしら?
「だから、めずらしく夫婦で来るのね」と母。
父の見舞いには一度も来なかったのに・・・。
それを聞いて、弟は「ペットと同じ墓なんて冗談じゃない」と言い
出す。
兄夫婦にとってみれば、ペットはペットではなく「わが子」のよう
だからねぇ・・・。
いざお墓を買う時になって、もめるのは私はいやですよ。
パン屋さんの袋
2006年10月27日病院に持って行ったバッグを整理していたら、中からパン屋さんの
袋が出てきた。
病院の近くのパン屋さんのだ。
パン好きの父に、買って持って行ったこともある。
「おいしい?」などと会話をした時もあったが、その後はベッドに
横たわる父のかたわらで2回ほど食べた。
父が最後の入院をしてから40日間、自分が倒れたら誰が父を看る
んだといった使命感で、食事だけは、ちゃんととるようにしていた。
だけど、私はどんどんやせていった。
あの頃、何かを食べて「おいしい」と思えることが、わずかに
残された幸せのひとつだったように思う。
私は、今後あのパン屋さんで買うことはないだろう。
袋が出てきた。
病院の近くのパン屋さんのだ。
パン好きの父に、買って持って行ったこともある。
「おいしい?」などと会話をした時もあったが、その後はベッドに
横たわる父のかたわらで2回ほど食べた。
父が最後の入院をしてから40日間、自分が倒れたら誰が父を看る
んだといった使命感で、食事だけは、ちゃんととるようにしていた。
だけど、私はどんどんやせていった。
あの頃、何かを食べて「おいしい」と思えることが、わずかに
残された幸せのひとつだったように思う。
私は、今後あのパン屋さんで買うことはないだろう。
電話を切った母は、ため息をつきながら言う。
「絶対他の人には言わないでねって言ったのに、もう知れ渡って
いる」
女に「絶対誰にも言わないでね」は通用しない。
夫を亡くしたということを、秘密にしておきたかったのだ。
確かに、今の我が家は毎日忙しい。
人が死んだ後、こんなにいろいろやらなければならないのかという
事が次々ある。
香典返し、喪中のはがきの手配、あちこちに挨拶、家に拝みに来る
人の応対、戸籍謄本や死亡証明書など各種書類をもらいに行くなど・・・。
うちは分家なのでお墓がないから、墓地も買わなければならない。
できれば49日法要に間に合うように・・・。これはほとんど無理。
こんな忙しい時に、友だちに来られたら1日つぶれるというわけだ。
たぶん来年まで忙しいのではないかと思う。
********
午後になって録画していた「チャングムの誓い」を母と見た。
毎週楽しみにしていたが、父の具合が悪くなった頃から見ていな
かった。
病院から帰ってくると、疲れ切って起きてられなかった。
だが、きょうは忙しいと言いながらも、2回分ゆっくり見ることが
できた。
あともう1話見ようとしていたら、やっぱりお客さんが来ておあずけ
になった。
「絶対他の人には言わないでねって言ったのに、もう知れ渡って
いる」
女に「絶対誰にも言わないでね」は通用しない。
夫を亡くしたということを、秘密にしておきたかったのだ。
確かに、今の我が家は毎日忙しい。
人が死んだ後、こんなにいろいろやらなければならないのかという
事が次々ある。
香典返し、喪中のはがきの手配、あちこちに挨拶、家に拝みに来る
人の応対、戸籍謄本や死亡証明書など各種書類をもらいに行くなど・・・。
うちは分家なのでお墓がないから、墓地も買わなければならない。
できれば49日法要に間に合うように・・・。これはほとんど無理。
こんな忙しい時に、友だちに来られたら1日つぶれるというわけだ。
たぶん来年まで忙しいのではないかと思う。
********
午後になって録画していた「チャングムの誓い」を母と見た。
毎週楽しみにしていたが、父の具合が悪くなった頃から見ていな
かった。
病院から帰ってくると、疲れ切って起きてられなかった。
だが、きょうは忙しいと言いながらも、2回分ゆっくり見ることが
できた。
あともう1話見ようとしていたら、やっぱりお客さんが来ておあずけ
になった。
幸せな日常
2006年10月25日午後から母と仏壇を見に行った。
いなかの親戚の仏壇は大きくてきらびやかだけど、東京は小さい
のを置く。
こういうのは普段見に行く事はないから、なんか圧倒されてしまった。
値段もピンからキリまである。
マンションに置いても違和感のないようにと、ちょっとした物いれの
ような家具調の物もある。
どれくらいの値段のものを買ったらいいのかわからないので、下見
ということで。
********
私には夫も子供もいないので、自分の物は自分で整理しておかなけ
ればという思いが一層強くなった。
いわゆる「老いじたく」ってやつ。ちょっと早めの。
小物やアクセサリー、服など出して従姉妹や従姉妹の子供が喜びそう
な物を出してみた。
おまけのお茶犬6個とかスタンプ、アクセサリー、未使用の小さい
ぬいぐるみなど喜んでくれるかな。
こんなことができる「日常」が実は本当は幸せな事なんだ、と
物に埋まりながら思う。
それにしても、物が多い。片付かない・・・。
いなかの親戚の仏壇は大きくてきらびやかだけど、東京は小さい
のを置く。
こういうのは普段見に行く事はないから、なんか圧倒されてしまった。
値段もピンからキリまである。
マンションに置いても違和感のないようにと、ちょっとした物いれの
ような家具調の物もある。
どれくらいの値段のものを買ったらいいのかわからないので、下見
ということで。
********
私には夫も子供もいないので、自分の物は自分で整理しておかなけ
ればという思いが一層強くなった。
いわゆる「老いじたく」ってやつ。ちょっと早めの。
小物やアクセサリー、服など出して従姉妹や従姉妹の子供が喜びそう
な物を出してみた。
おまけのお茶犬6個とかスタンプ、アクセサリー、未使用の小さい
ぬいぐるみなど喜んでくれるかな。
こんなことができる「日常」が実は本当は幸せな事なんだ、と
物に埋まりながら思う。
それにしても、物が多い。片付かない・・・。
心の奥底へ
2006年10月23日父が入院していた病院へ、母と挨拶をしに行った。
父の臨終を看取った医者は、父の主治医ではなかったのでずっと
会っていないまま、病院を去った。
主治医の先生は、外来診察中ということで、言づてを頼んでから
病棟に行った。
ナースステーションのすぐ前に、父が入っていた部屋がある。
父が元気だったころ「あの○号室に入ったら、もうダメってことだよ」
と言っていた特別個室だ。
その部屋番号を見ただけで、あのつらかった毎日がよみがえり
思わず目を伏せた。
看護師さんに声をかけたら、にこにこしながら出てきてくれた。
母が「大変、お世話になりました。ありがとうございました」と挨拶
するのにあわせて、私も礼を述べたが、最後の言葉は涙ぐんでことば
にならなかった。
葬儀がすんでから、ずっと泣かずにきたのに。
この病棟のにおいや心電図の音が聞こえてくると、来たことを後悔
してしまう。
帰りエレベーターを待っているその壁に、父が描いた絵が飾られて
いる。
母も私もそれをわかっているのだけど、ふたりともその絵を見よう
とはしなかった。
ダメなんだ、あの時の精神的にどんどん追い詰められていった苦しさ
と、父の姿が重なって思い出したくないんだ・・・。
今は、父の事を心の奥にしまいこんでおきたい。
父の臨終を看取った医者は、父の主治医ではなかったのでずっと
会っていないまま、病院を去った。
主治医の先生は、外来診察中ということで、言づてを頼んでから
病棟に行った。
ナースステーションのすぐ前に、父が入っていた部屋がある。
父が元気だったころ「あの○号室に入ったら、もうダメってことだよ」
と言っていた特別個室だ。
その部屋番号を見ただけで、あのつらかった毎日がよみがえり
思わず目を伏せた。
看護師さんに声をかけたら、にこにこしながら出てきてくれた。
母が「大変、お世話になりました。ありがとうございました」と挨拶
するのにあわせて、私も礼を述べたが、最後の言葉は涙ぐんでことば
にならなかった。
葬儀がすんでから、ずっと泣かずにきたのに。
この病棟のにおいや心電図の音が聞こえてくると、来たことを後悔
してしまう。
帰りエレベーターを待っているその壁に、父が描いた絵が飾られて
いる。
母も私もそれをわかっているのだけど、ふたりともその絵を見よう
とはしなかった。
ダメなんだ、あの時の精神的にどんどん追い詰められていった苦しさ
と、父の姿が重なって思い出したくないんだ・・・。
今は、父の事を心の奥にしまいこんでおきたい。
まだ慣れていない
2006年10月22日スーパーで鮭の切り身を8切れ買う。これで、2回分になる。
家に帰って、冷凍にするためラップで包んでトレーに乗せる。
あぁそうか、父が亡くなったから3人になったのだ。
6切れ買えば十分だったのだと気づく。
夕食の準備をする。材料は、いつも通りだ。
それをお皿に分けながら、3人では多いなと思う。
まだ慣れていない、3人になったということに。
家に帰って、冷凍にするためラップで包んでトレーに乗せる。
あぁそうか、父が亡くなったから3人になったのだ。
6切れ買えば十分だったのだと気づく。
夕食の準備をする。材料は、いつも通りだ。
それをお皿に分けながら、3人では多いなと思う。
まだ慣れていない、3人になったということに。