深い疲労

2007年12月14日
箱根旅行の帰りの母と、ちょうど同じ日に新宿に用事があったので、

新宿駅西口で待ち合わせて、一緒に帰ってきた。

山手線の向かい側に座った母は、少し疲れているように見えた。

母は実年齢より若く見えがちだが、それは身内の贔屓目(ひいきめ)

であって、他人が見たら年相応に見えるのだろうか。

親の年齢を思うと、心が重い。

実は私も疲れきっていた。なにしろ緊張の3日間であったからだ。

家に着き、やっとホッとした。

「疲れている」とは口にできないまま、夕食の支度でスーパーへ
向かう。

自転車をこぐ道の先には、今、沈もうとしている夕日が空をだい

だい色に染めている。

ビルや家々の谷間が、そこだけ異空間のように燃え輝いている。

あの強烈な光の中まで自転車で突っ込んで行ったら、私はとけて

なくなるだろうか。

この時間にこの道を通るのは、悲しい記憶をなぞるようなものだから

できれば避けたかった。

でも、父が亡くなって1年もたっているのだから、もうそんなことに

いつまでもとらわれているのは、おかしいではないか、もう振り向く

事などやめてしまえ、と思うのだが神々しいまでの美しい夕日は、

私をあの頃に引き戻してしまう。

4年間、父を見舞うために通った道は、たとえ1年たっていようが

変わらないのである。

        *******

スーパーで買い物中、私は疲れが頂点に達していたのか、もしかした

ら、倒れるかもしれないといった感覚を得る。

レジを済ませて外へ出ると、北風が一段と強くなっていて、自転車を

こいでもちっとも進んでいないように感じる。

「遅かったわね」出迎えた母が言う。

「買い物、ありがとうね」「うん」

たとえ疲れきっていても「おかえり」と言ってくれる人がいる。

キッチンから、湯気が立ち上りエアコンの暖かさに加えて、野菜を

煮込んだにおいがする。

幸せだなと思いながら、ブーツを脱ぐ。

        ********

後片付けがすんで、やっと布団に横になる。

目を閉じる。頻脈で、背中まで痛む。

このまま、死んでもいいかな、と思う。

残していくには、悲しいほどの幼いこどもがいるわけでもなく、

たいした心残りもないままに逝ける身分だ。

きょうでもいいよ、と思うが、案外こういう人間に限って、いざと

なったら命乞いするんだろうなと思って、目を開けた。

深い疲労は、時として妙な事を考えさせる。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索