日比谷花壇から、母の友人が花を送ってきた。

白いユリを真ん中に、カーネーション、フリージア、ガーベラなど

ほとんど白で統一されたアレンジメントだ。

私が買ってきたうす桃色のユリもお供えしてあるので、今、仏壇の

前はたくさんの花があふれている。

「おとうさん、花がいっぱいでありがたいわねぇ・・・」

私がそう言うと、「そうよ、最後の入院をした時、『花の絵を描き

たい』って言ってたから、きっとあちらで花を描いているわよ」

かたわらで母が言う。

ふとあの世で父が、花の絵を描いている姿を想像したら、鼻の奥が

ツーンと痛くなった。

そうだ、忘れていた。

花の絵を描きたいと言われて、父の望む本を探して歩き、やっと

見つけてすぐ届けに行ったっけ。

でも、結局体調が悪くなっていって、ついに1輪も描けないまま

旅立ってしまった。

看護師さんに、「そろそろ荷物を少しずつ片付け始めてください」と

言われた時も、スケッチブックだけは家に持って帰る気になれない

でいた。

もしかしたら、突然「絵を描くぞ」と言うのではないかと、わずかな

希望を捨てられずにいたのだった。

スケッチブックを持って帰るときは、父が亡くなった時と決めていた

ので、もしも持って帰ったら、父は亡くなってしまうのではないかと

さえ思っていた。

スケッチブックが父の手に届く場所にある限り、父の命もまた私の

手が届く位置にある。

おかしいかもしれないが、スケッチブックに父の命の長さを託して

いたとも言える。

だから棺に、スケッチブックと絵筆、絵の具を入れたのだ。

「そう言えば、おとうさんの絵の中に、このうす桃色のユリを描いた

ものがあったよね」

「そうだっけ?」母は言う。

確かにあったはずだ。

もう亡くなって5ヶ月たったというのに、父の部屋は何も手付かずの
ままだ。

スケッチブックを開いてみることすらしていない。

「玄関の絵、あれ、夏の絵じゃない?何か今の時期にふさわしい

ものに取り替えたいんだけど、おとうさん、あれを飾ってから入院

したからねぇ・・・」

「うん・・・・」

海の絵だ。入院した時は夏だった。

父が気に入って飾った絵を取り外して、別なものに替えたら、

あの世で元気だった頃のように怒るだろうかと考えると、なかなか

決断できないまま、穏やかな海に浮かぶヨットの絵が飾られたままで

ある。

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