納骨式
2007年3月11日きょうは、父の納骨式が11時から始まる。
親戚はみんな車で来るというのに、私だけあぶれ、ひとり霊園に
電車で向かう。
兄の車は5人乗りだけど、甥っ子が欠席するので、母と遺骨を持つ
弟を乗せて行くことになった。
「あかりは、電車でいいのか?○さん(兄嫁)と△(姪っ子)が電車
でいいって言ってたけど?」と前日、電話で聞いてきた。
そんな!あ〜た!
兄嫁さんと姪っ子を電車で行かせて、妹の私が車に乗れるわけないで
しょう。しかも、当日は雨だっていうし・・・。
初めから電車で行くと決めていたし、近いんだから大丈夫、
と断った。
電車で行く方がどれほど気楽か。
私は兄の車に乗ると、兄になにかと文句を言われたりする。
「もっと足を低くしろ」とか「前のめりに座るな」とか、バック
ミラーで私の事を見て、怒ってばかりいる。
5人乗ると、たいてい私は真ん中になるので、足の置き場がないから
そういう姿勢になるのに、と思っても怖いからとなにも言えない。
だから、兄の車に乗ると私は緊張する。
どれだけ、電車で行く方が気分がいいか。
納骨だというのに、朝から雨。
お昼には雨があがると天気予報で言っていたけど、どうなるんだろう。
11時に始まるが、親戚を出迎えなければならないので、霊園には
10時に着くように行った。
風が強いので、横殴りの雨が容赦ない。
墓地を見たら、ビーチパラソルのような青い傘がお墓に立てられて
いた。
霊園の人に聞いたら、40分くらいかかると言われた。
いや、40分も寒い外にお坊さんも親戚も立たせておくわけには
いかないと急きょ、管理棟の部屋を借りる事になった。
祭壇にお花、果物、和菓子、お酒、ビールなどをお供えする。
遺影につけた黒白のリボンは、「これは四十九日までなんですよ」と
教わる。
四十九日までがお葬式といい、それを過ぎると法事というのだ
そうだ。
お経のあと、お坊さんのお話。
「○○さんは、阿弥陀如来さまに導かれ極楽浄土に向かいます。
そして、そちらでご家族を見守っていかれるのです。
残されたご家族が健康に留意して、幸せに暮らしているのが仏様に
とって、それが何よりのご供養となります」
それを聞いた途端、涙がじわりと目を曇らせた。
もう父が病室で苦しんでいた姿はわすれよう。
時折それを思い出し、私は胸を痛めてきたが、もう、いいのだ。
忘れていいのだ。
父は、浄土へ導かれ、もうどこも痛いところも苦しいところも
ないんだから。
私は、その言葉に救われた気がした。
同時にそれは、いろいろ娘として至らなかったことへの許しともとれ
た。
********
式が終わって外に出たら、あれほど降っていた雨があがり、青空が
見え始めていた。
みんな空を見上げ安堵する。
墓前でお経のあと焼香をすますと、いよいよ父の納骨である。
係りの男性が慎重にカロートに納める。
「どうぞ、お写真を撮ってください」とお坊さん。
え゛っ。
弟が「撮るもんなの?」
私の後ろを通るとき、ボソっとつぶやいて写真を撮った。
弟は躊躇していたが、ポケットにデジカメ持ってきてるじゃない。(笑)
和型と言われる、昔からあるお墓の形ではなく、うちは洋形を
選んだ。
(コッチの方がいくらか安いし、兄いわく「すっきりして格好がいい」)
そのため目線に花立てがなく、下を見るような角度になるためか、
たくさん持って来たつもりの花が、少なく見えた。
無事に納骨が終わった。
そして、会食をするため新横浜プリンスホテルまで車で分乗。
私は、ひとりで来た叔母に乗せてもらった。
この前のように、叔母と兄、叔父が行く道のことでまたもめ、ホテル
についてから、またひと騒動起きたのだった。
親戚はみんな車で来るというのに、私だけあぶれ、ひとり霊園に
電車で向かう。
兄の車は5人乗りだけど、甥っ子が欠席するので、母と遺骨を持つ
弟を乗せて行くことになった。
「あかりは、電車でいいのか?○さん(兄嫁)と△(姪っ子)が電車
でいいって言ってたけど?」と前日、電話で聞いてきた。
そんな!あ〜た!
兄嫁さんと姪っ子を電車で行かせて、妹の私が車に乗れるわけないで
しょう。しかも、当日は雨だっていうし・・・。
初めから電車で行くと決めていたし、近いんだから大丈夫、
と断った。
電車で行く方がどれほど気楽か。
私は兄の車に乗ると、兄になにかと文句を言われたりする。
「もっと足を低くしろ」とか「前のめりに座るな」とか、バック
ミラーで私の事を見て、怒ってばかりいる。
5人乗ると、たいてい私は真ん中になるので、足の置き場がないから
そういう姿勢になるのに、と思っても怖いからとなにも言えない。
だから、兄の車に乗ると私は緊張する。
どれだけ、電車で行く方が気分がいいか。
納骨だというのに、朝から雨。
お昼には雨があがると天気予報で言っていたけど、どうなるんだろう。
11時に始まるが、親戚を出迎えなければならないので、霊園には
10時に着くように行った。
風が強いので、横殴りの雨が容赦ない。
墓地を見たら、ビーチパラソルのような青い傘がお墓に立てられて
いた。
霊園の人に聞いたら、40分くらいかかると言われた。
いや、40分も寒い外にお坊さんも親戚も立たせておくわけには
いかないと急きょ、管理棟の部屋を借りる事になった。
祭壇にお花、果物、和菓子、お酒、ビールなどをお供えする。
遺影につけた黒白のリボンは、「これは四十九日までなんですよ」と
教わる。
四十九日までがお葬式といい、それを過ぎると法事というのだ
そうだ。
お経のあと、お坊さんのお話。
「○○さんは、阿弥陀如来さまに導かれ極楽浄土に向かいます。
そして、そちらでご家族を見守っていかれるのです。
残されたご家族が健康に留意して、幸せに暮らしているのが仏様に
とって、それが何よりのご供養となります」
それを聞いた途端、涙がじわりと目を曇らせた。
もう父が病室で苦しんでいた姿はわすれよう。
時折それを思い出し、私は胸を痛めてきたが、もう、いいのだ。
忘れていいのだ。
父は、浄土へ導かれ、もうどこも痛いところも苦しいところも
ないんだから。
私は、その言葉に救われた気がした。
同時にそれは、いろいろ娘として至らなかったことへの許しともとれ
た。
********
式が終わって外に出たら、あれほど降っていた雨があがり、青空が
見え始めていた。
みんな空を見上げ安堵する。
墓前でお経のあと焼香をすますと、いよいよ父の納骨である。
係りの男性が慎重にカロートに納める。
「どうぞ、お写真を撮ってください」とお坊さん。
え゛っ。
弟が「撮るもんなの?」
私の後ろを通るとき、ボソっとつぶやいて写真を撮った。
弟は躊躇していたが、ポケットにデジカメ持ってきてるじゃない。(笑)
和型と言われる、昔からあるお墓の形ではなく、うちは洋形を
選んだ。
(コッチの方がいくらか安いし、兄いわく「すっきりして格好がいい」)
そのため目線に花立てがなく、下を見るような角度になるためか、
たくさん持って来たつもりの花が、少なく見えた。
無事に納骨が終わった。
そして、会食をするため新横浜プリンスホテルまで車で分乗。
私は、ひとりで来た叔母に乗せてもらった。
この前のように、叔母と兄、叔父が行く道のことでまたもめ、ホテル
についてから、またひと騒動起きたのだった。
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