夕日のさす道
2007年1月10日やたら、きょうは父のことばかり頭に浮かぶのは、納骨の日まで
お骨を預かってもらっているお寺に、母と拝みに行く予定をたてた
せいなのだろう。
3時半、スーパーまで自転車をこいでいると、夕日がまっすぐに道を
照らしてまぶしかった。
だいだい色に輝く太陽は、対向車さえもその強い光の中に包み
込んで見えなくしている。
ペダルをこぐほどに、太陽にどんどん近づいている。
ふと、このまま夕日に向かって行ったら、どこへ着くのだろうと
考える。
きょうと同じ日があった。
父の入院している病院に行く道も、こんなふうに西に傾いた日差しに
満たされていた。
午前中に1回父を訪ね、夕方から夜にかけて自分を奮い立たせる
ようにして病院へ行った。
夜の9時頃家に帰ってくると「おとうさん元気だったよ、食欲も
あったし」
少し嘘を混ぜて母に伝えた日もあれば、目が赤いのは、
「コンタクトがゴロゴロしちゃって」と、ごまかした日もあった。
だめだなぁ、いろいろなことを思い出してしまって。
ここのスーパーでお弁当を買って、父のかたわらで食べた日も何回か
あった。
そんな事を思い出すので、いまだにお弁当のコーナーに近づけないで
いる。
何種類かあるお弁当だが、このお弁当の時は、父はこうだったとか、
このお弁当の時は、こんなことがあったとか、不思議に記憶が鮮明に
よみがえるものだから、困ったものである。
日常の事なら、簡単に忘れてしまうのに・・・。
父の事を思い出すのはしかたないが、悲しみにどっぷりと浸ってしま
うようでは、いけないと自分を叱る。
私には、まだ家族があるから、こうして買い物などしていられる
気分だが、ひとりだったら、こうはいかないだろう。
母がいて弟がいて、3人で囲む食卓がある幸せに感謝した夕暮れ
だった。
お骨を預かってもらっているお寺に、母と拝みに行く予定をたてた
せいなのだろう。
3時半、スーパーまで自転車をこいでいると、夕日がまっすぐに道を
照らしてまぶしかった。
だいだい色に輝く太陽は、対向車さえもその強い光の中に包み
込んで見えなくしている。
ペダルをこぐほどに、太陽にどんどん近づいている。
ふと、このまま夕日に向かって行ったら、どこへ着くのだろうと
考える。
きょうと同じ日があった。
父の入院している病院に行く道も、こんなふうに西に傾いた日差しに
満たされていた。
午前中に1回父を訪ね、夕方から夜にかけて自分を奮い立たせる
ようにして病院へ行った。
夜の9時頃家に帰ってくると「おとうさん元気だったよ、食欲も
あったし」
少し嘘を混ぜて母に伝えた日もあれば、目が赤いのは、
「コンタクトがゴロゴロしちゃって」と、ごまかした日もあった。
だめだなぁ、いろいろなことを思い出してしまって。
ここのスーパーでお弁当を買って、父のかたわらで食べた日も何回か
あった。
そんな事を思い出すので、いまだにお弁当のコーナーに近づけないで
いる。
何種類かあるお弁当だが、このお弁当の時は、父はこうだったとか、
このお弁当の時は、こんなことがあったとか、不思議に記憶が鮮明に
よみがえるものだから、困ったものである。
日常の事なら、簡単に忘れてしまうのに・・・。
父の事を思い出すのはしかたないが、悲しみにどっぷりと浸ってしま
うようでは、いけないと自分を叱る。
私には、まだ家族があるから、こうして買い物などしていられる
気分だが、ひとりだったら、こうはいかないだろう。
母がいて弟がいて、3人で囲む食卓がある幸せに感謝した夕暮れ
だった。
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