喪中の挨拶状
2006年12月11日父がなくなってきょうで2ヶ月たった。
やっと先週、デパートに香典返しのリストを作って渡し、きょうその
確認書が来た。
何回も何回もリストを書き直し、やっと忙しさから開放された。
喪中の挨拶を出してから、香典や手紙を送ってくる人がいて、その
返事を母は毎日書いている。
その慰めのことばがしたためられた手紙を読むと、今さらながら
悲しくなる。
ひと通りの挨拶の後「祈りは届かないものなのですね」と書いてきた
父の友人の一文には、胸が熱くなった。
治るようにと、お札を買ってきてくれたり、はげましの手紙を何回も
書いてきてくれた人だった。
こうやって、他人まで悲しい思いにさせてしまったことを私たちは
後悔している。
ましてこの人は、脳梗塞を患っている身でいるからこそ、余計
申し訳ないのだ。
遠く離れた友人に、父が自分で病気のことを打ち明けたのだが、
それは間違いだったよと、父に伝えたい。
喪中の挨拶状も、父宛に年賀状をくれた人に出したが、果たして
それでよかったのかと、私たちは今も考えあぐねている。
やっと先週、デパートに香典返しのリストを作って渡し、きょうその
確認書が来た。
何回も何回もリストを書き直し、やっと忙しさから開放された。
喪中の挨拶を出してから、香典や手紙を送ってくる人がいて、その
返事を母は毎日書いている。
その慰めのことばがしたためられた手紙を読むと、今さらながら
悲しくなる。
ひと通りの挨拶の後「祈りは届かないものなのですね」と書いてきた
父の友人の一文には、胸が熱くなった。
治るようにと、お札を買ってきてくれたり、はげましの手紙を何回も
書いてきてくれた人だった。
こうやって、他人まで悲しい思いにさせてしまったことを私たちは
後悔している。
ましてこの人は、脳梗塞を患っている身でいるからこそ、余計
申し訳ないのだ。
遠く離れた友人に、父が自分で病気のことを打ち明けたのだが、
それは間違いだったよと、父に伝えたい。
喪中の挨拶状も、父宛に年賀状をくれた人に出したが、果たして
それでよかったのかと、私たちは今も考えあぐねている。
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