生命力
2005年11月19日日記、1週間も放置。
その間に、父がまた治療を再開させるため入院した。
家では、母が昼食と夕食のたびに、父が食べたい物を出していた。
そんなふうにその日その日によって、自分がおいしいと思えるものを
食べてきたので、病院食に戻ったら「こんなの食えん!」となった
らしい。
そんなわけで、毎日ではないが、おかずだけ届けることになった。
一応消化器科に入院なので、本当ならちゃんと栄養士さんが考えた
食事をとらないきゃいけないんだろうが、父の場合は体力をつけなく
てはならないので、差し入れは黙認してくれている。
木曜日は、昼食と夕食を届けた。
あとで、おかずが多すぎると言ってきた。
きょう夕食のおかずを届けに行ったら、「やっぱり病院食に慣れな
きゃダメだよな」と考え直したらしく、もう持ってこなくていいよと
言われた。
夕方の5時半はすっかり闇。
ギーコギーコと絵の道具も持って、自転車で届けに行った。
********
父の年齢になって、30回もラジオ波治療をしているの人はいないらしい。
みんな、そんな回数を受ける前に亡くなってしまった。
父は、医者から「不思議な人」と思われているそうだ。
つまり、なかなかここまで持つ人はいないので、その生命力の強さに
驚かれているらしい。
その間に、父がまた治療を再開させるため入院した。
家では、母が昼食と夕食のたびに、父が食べたい物を出していた。
そんなふうにその日その日によって、自分がおいしいと思えるものを
食べてきたので、病院食に戻ったら「こんなの食えん!」となった
らしい。
そんなわけで、毎日ではないが、おかずだけ届けることになった。
一応消化器科に入院なので、本当ならちゃんと栄養士さんが考えた
食事をとらないきゃいけないんだろうが、父の場合は体力をつけなく
てはならないので、差し入れは黙認してくれている。
木曜日は、昼食と夕食を届けた。
あとで、おかずが多すぎると言ってきた。
きょう夕食のおかずを届けに行ったら、「やっぱり病院食に慣れな
きゃダメだよな」と考え直したらしく、もう持ってこなくていいよと
言われた。
夕方の5時半はすっかり闇。
ギーコギーコと絵の道具も持って、自転車で届けに行った。
********
父の年齢になって、30回もラジオ波治療をしているの人はいないらしい。
みんな、そんな回数を受ける前に亡くなってしまった。
父は、医者から「不思議な人」と思われているそうだ。
つまり、なかなかここまで持つ人はいないので、その生命力の強さに
驚かれているらしい。
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